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Clingonを聴いたんだ。
勝手なもので、自分の事で精一杯で、ほったらかしにしてました。
たまぁに会うお客さんに、「休止なんですよね?またやるんですよね?」って言われたりする。
どうなんでしょうね?
気持ちはいつもあるんだけど、一度止めたものを、気持ちの部分からクリアーに「イエーイ!」ってやるのは難しいよね。
そりゃあ昨日今日じゃないから音出すのは出来るけど気持ちの部分ね。
34歳にもなって気難しくて申し訳ないんだけど、簡単には出来ないんですよ。
僕みたいなしょうもない人間でも、しょうもないなりにものすごくプライドが高くて、Clingonが止まるなら止まるなりの生き方考えた訳。
自ら止めた訳じゃないし、誰かが止めた訳でもない。
自然と止まっちゃった。
音楽辞めようかともよぎったしね。
でも一生やるんだ。
それは決まったんだ。
この一年半だかなんだかで。
いろんな人と合奏して、喜ばれたり失望されたり、受け入れたり受け入れられたり、拒絶したり拒絶されたり…。
そこで、僕の生きる場所はここなんだと実感したんですよ。
いろんな仲間と音出して、つくづく感じた。Clingonが中心じゃない日々を一年半以上過ごしたわけだから。
でも多かれ少なかれClingonの丸尾ってのがのしかかる。
売れた訳じゃないのにね。
Clingonをやってる時は、ずっと音を出す場所が当たり前のようにあった。
でも今は自分で創るんだ。
叩きたいから。
楽しい事以外は一切排除して生きたいから、今はそれを実行している。
Clingonやってる時は楽しかった。
いろいろあっても、そんないろいろをひっくるめて楽しかった。
バンドに属して、それを動かしてるって実感出来て、辛い事も含めて楽しかった。
そんな繰り返しの中で10数年やってきたClingonを懐かしくも誇りにも思うんだ。
Clingonやってたから今の僕がいるしね。
なにしろ人生の一番輝かしいとされる時期をClingonと共に歩んだからね。

音楽的な事だけ言えば今すぐにでもClingonやりたいし、キンチャンの曲と歌声の後ろで叩きたいんだ。
本当に、嘘じゃなく、キンチャンの描いたあの曲この曲を叩きたいと切望している。
でも、戻れないんだ。
何故こんな話をするかと言うと、先日必要に駆られてClingonのアルバムを自宅でじっくり聴いたんだ。
普段はまず聴かないからね。
ある仕事の参考に軽い気持ちで聴いたんだ。
で、確信したんだけど、やっぱり圧倒的だよ。
自分が叩いてるとか抜きに、圧倒的に素晴らしいし、誰にも負けないし、強烈にずば抜けてるよ。
悪いけど、今いろいろサポートやらせてもらってる人達と比べても、明らかにダントツなんですよ。
それもボロ勝ちで。
勝ち負けじゃないけど、こんなに下手なのに即座に感動出来て、のめり込める、邦楽はなかなかない。
ぶっちゃけ邦楽あまり好きじゃないからね。
邦楽やってるくせに矛盾してるけど、のめり込めないよ、大概の邦楽は。
多分、一生洋楽コンプレックスを引きずって生きていくんだと思うけど…。
確信したんです。
そこにはコバッチが居てシゲが居て鈴木君が居て…。
その瞬間のそれぞれの人生がぶつかり合った音がある。
しかも全員のセンスがずば抜けてる。
あんな事、Clingon復活しますって言って簡単に出来るものじゃない。
Clingonが止まったと言って、僕も僕で、一緒に歩みを止める訳にはいかない。
キンチャンが、がむしゃらにやってるように、僕もがむしゃらにやってるんだ。
自分の音楽なんて言う程の大層なものではない。
ただ、自分が叩く処を探して、楽しいと言う軸だけは揺るがないように続けるんだ。
Clingon、明日にでもやりたいし、10年後ぐらいにしか出来ないかも知れない?
そんな気分です。
だってあまりに圧倒的にカッコイいんだもん。
誰かが上手くなったぐらいの生半可な事では過去のClingonを越えられないからね。
誰が許さないとかじゃなくて、自分が許せない。
ひとかけらの曇りも持ち込んではいけない場所なんですよ、Clingonは。
正直、今現在は曇りがある。
ごめんなさい。
Clingonの今までの活動云々じゃなく、純粋にお互いがお互いを切望した時に出来れば最高っすね。
自然にね。
その時は誰も待ってないかも知れないけど、誰かの為には出来ないんだ、今は。
いろんな場面に遭遇し、いろんな体験をしてスポイルされた自分を、巻き戻したいんだ。
大人になんかならなくていい、ただひたすら熱いドラムをたたけてた自分に戻りたくて。
Clingonは僕を熱くさせてくれた。
なんせ僕はClingonが好きだからね。

そんな思いでがむしゃらに生きてます。

丸尾和正
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by cling-on | 2007-06-22 13:07